散骨・手元供養と納骨・お位牌 どちらを選択すべきか

私は母の御遺骨を9年間自宅で保管し、手元供養してきました。
そして今年やっとのことでお墓に納骨し、現在手元にはお位牌があります。

日本のお墓は今、大きな問題に直面しているといえるでしょう。
お墓問題はさておき、散骨・手元供養といった方法と、納骨・お位牌を比較して、
私が選択した道をお伝えいたします・・・。

今思うと、私の家にはお仏壇というものがありませんでした。
また、母の死が初めての身近な存在の死であり、家族に無関心な父に代わって
私は何もわからないまま、葬儀に関わる全ての手配を進めていきました。


その時の私は、亡くなった者への供養ということにあまりに無知だったのです。

私の母は若いながらも数年間病気で入退院を繰り返していました。
そのため死後の備えは完璧であり、私自身、母から生前に色々な話を聞いており、本人の意向も十分承知していました。
母は、死後『散骨してほしい』とだけ言っていました。

私は母の希望通り、『散骨しよう』と思い、お葬式はあげましたが戒名もせず、御遺骨を自宅に持ち帰りました。
結局そのまま9年の月日が流れたのです。

亡くなった母の全てがこの御遺骨にあるような気がして、とても海にばらまくような気にはなれなかったのです。

約7年の歳月がたち、私は母の御遺骨をパウダー状に粉砕して頂きました。
これで後は海に散骨するだけです。そのようなツアーも探せばいくらでもあります。
しかし、私はどうしても散骨する気にはなれませんでした。
それほど御遺骨が神聖なものに感じた一方、それを海にばらまくと母の全てがなくなりそうで怖かったのです。。。

そして今年父がなくなりました。

父も「散骨でもしてくれ」と、残される方の身になれ!と思うような適当なことを言っていました。
私は母の御遺骨がこれでいいのかと思い続けて苦しんでいたので、父は通常通りの納骨の手配をお寺様に依頼しました。
そして、お寺様とのやり取りで、色々なことが分かってきました。

そもそも、49日を過ぎてお位牌に魂を移せば、御遺骨には何ものこらないということ。
お祈りする対象はお位牌であること。
つまり、御遺骨をお納めするお墓には、ただの御遺骨しかなくそこに亡くなった者はいないということです。

よくよく考えればそうでしょう。
寂しい墓地にいつまでも亡くなった者がいるはずがありません。
事故でなくなった方だって、いつまでもそんな場所にいるはずありません。
みんな極楽浄土へ行くのです。

我々は、御位牌を通して極楽浄土にいる方に、お祈りすればよいのです。

私は今年、改めて母の戒名をお願いし、父と共に納骨し、
今、私の手元には父と母の夫婦位牌が祭られています。
私は毎朝、その夫婦位牌に手を合わせて出勤します。

私の中では大好きな人を、大好きだった人の望んだ方法である散骨とういう方法で供養するということができませんでした。
しかし私の中では今に至ってやっと、十分な供養ができていると思っております。

供養の仕方・感じ方は本当に人それぞれだと思います。
もし一人でも、私のように、手元供養や散骨に悩みを抱えている方の解決の糸口になればと思います。

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