坂の上の雲 勇気はかれの自己教育の所産・・・

 …かれ(秋山好古)が松山でおくった少年のころや大阪と名古屋でくらした教員時代、ひとびとはかれからおよそ豪傑を想像しなかった。おだやかで親切な少年であり、青年であったにすぎない。それが、官費で学問ができるというので軍人になった。軍人になると、国家はかれにヨーロッパふうの騎兵の教育者として期待し、かれもそのような自分であるべく努力した。
 かれは自己教育の結果、「豪傑」になったのであろう。いくさに勝つについてのあらゆる努力をおしまなかったが、しかしかれ自身の個人動作としてその右手で血刀をふるい、敵の肉を刺し、骨をたつようなことはひそかに避けようとしていたのではないか。むろんそのために竹光を腰に吊るということは、よほどの勇気が要る。勇気はあるいは固有のものではなく、かれの自己教育の所産であったようにおもわれる。

坂の上の雲(二)司馬遼太郎 文春文庫P95-P96

NHKのスペシャルドラマでも登場する名言です。

阿部寛演じる秋山好古は、努力家で頭がよく、辛抱強く、酒豪で…と並々ならぬ人物であったことを終始見事に演じています。
実際にそうだったのでしょう。

しかし、この司馬遼太郎の解説は、雲の上の様な存在としての秋山好古ではなく、自己教育という誰もがなしうるものの結果であったと指摘することで、激動の明治という時代を生きる一人の人間であったことを読者(視聴者)に思わせる重要なものです。

このセリフにより、過去の偉人である秋山好古は、グッと私たちに身近な存在になり、時代は違えど今いる私たちにも共感しうるものが生まれてきます。

とはいえやはり、それほどの自己教育が私にできるかというと、答えるまでもありませんが・・・

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